大石佳知(アーキキューブ代表)
設計事務所をしていますが設計活動以外にも林業、社会貢献的活動を行っています。学生時代は木造の勉強をする機会がなかったという多くの声から、岐阜の建築士会で木造塾を立ち上げました。初めは設計・施工から約80名もの参加者があり、そのころから木、林業と設計者がどうかかわるかを考えてきました。自分の仕事では全ての物件ではないがここ3年程、建主に丸太を直購入してもらい家を建てる事もしています。そこでは丸太は市場価格の3倍で購入して、その代り林業家には植林を必ずしてもらうようにしています。これにより山側にお金を回し山を育てようという試みを行っている。設計活動と木材の流れを両立させる中でこれからの木の住まいを考えています。
鷲見昌己(株式会社中島工務店 神戸支店長)
東濃桧の家、中島工務店の神戸支店長をしています。今日は建て主に接している立場から一番ユーザーに近い観点からお話をしていきたいと思います。出身は下呂市で、現在は神戸に居ますが、紹介頂いた様に山と都市を結ぶネットワークで活動をしていますが、それは難しいことではないと思っています。ただ、最近は国産材を使った家がブームとなっていますが、その様な家を造っているところで山のことを本当にわかって取り組んでいるところはどれだけあるかとも思います。実際に山側の人達が食べていけるかどうかという背景を背負いながら活動をしています。
田口房国(株式会社山共 代表取締役)
会社は祖父の代から林業、製材業を営み、昭和30年林業を始めて半世紀以上たちます。しばらくは米松を主に構造材の注文引きを行っていましたが、地球の裏から来る材を使うのに、何故うちの裏にある材を使わないのか、値段が合わないのかという思いがあり、花博の頃から地元の杉を使っていくように方向転換しました。地元では今もそうですが当時は杉を製材しているところがありませんでした。東濃桧は有名ですが山には桧ばかりでなく杉やいろいろな木があり、それらをトータルに使わなくては山は良くならないと思っています。自社林は400haありますが、当時は手入れできておらずこのままでは駄目だとの重いから東白川村森林組合とグループでFSC森林認証を取得しました。山があって製材所を持っている自社でしかできないことをという考えで、建主、建築屋、製材所、山という流れを活かした仕事をしていこうと考えています。
また、自分の周囲にも森林文化アカデミーや林業短期大学校の出身が沢山いるが、残念ながら今はそういう人達が意欲を持って現場に来ても、昔の古い体制の中ではそれを発揮できないでいます。そういう人達がもっと活躍できるように、地元の企業として頑張っていきたいと思っています。
鈴木章(NPO法人 杣の杜学舎 代表理事)
アカデミーび卒業生で、美濃氏を中心に山の仕事をしています。今回はテーマが今求められる木の住まいとはということで、木材が生産される山の現場に近い立場から参加しています。実際の主な活動は放置人工林に対してになりますが、素材生産業者さんとの付き合いも多くあるので現場の声を伝えることができると思います。
野池政宏(住まいと環境社 代表)
環境をキーワードにどの立場にも属せずに、俯瞰的に木の家づくりを考えていける立場にいます。木造自体は建設時までのOC2排出量が鉄骨造やRC造の半分くらいで、それだけ木材はエネルギーを使わずに加工できる環境的メリットがある。
また、内閣府の調査から凡そ80%以上の一般の人が木の家を欲しがっていることが分かっています。先ほどの横内さんの講演からも、その理由には縄文から続いている日本人の何かがあるのだろうと感じました。
環境の時代において木造住宅は環境的メリットがあるが、もう一つの視点としてウッドマイルズからみると、今の日本の木造住宅のかなりの割合は非常に遠くから運ばれて来ています。単に木の家は環境負荷が小さいという単純な話ではなく、どこの木材を使うかによってその環境負荷は非常に違います。下手をすれば木材を使う環境メリットが失われてしまうことにもなります。家づくりに携わる者としてはどういうものを提供しなくてはいけないかを考えなくてはいけない時代になっていると思います。
それと、一般の人が木の家を求めているのに、実際に立っている家はほとんど木が見えない様な作りの家になっている事に大きな矛盾を感じることがあります。
これからますます社会的なニーズとして木の家をつくっていかなくてはいけない大事な時期にきているのに、今はまだそれに対して明快な解は見えていません。その切欠になるフォーラムになることを期待して進めていきたいと思います。
野池
これからの木の住まいを考える時のひとつのキーワードが、先ほどからの話で出てきているつながりだと思います。時間的なつながりや家と山とのつながりなど。大石さんは家づくりを通じて一般の人と作り手を繋いでおられるし、田口さんも川上から川下への流れをいかに作るか、鷲見さんは地域の思いをしょって街へ出ていって家を作っている。いかにして繋がりをつくるかということがあると思います。
大石さんの活動の中で、一般の人がどういった思いでそこに来るのか。また、その活動にどういったメリットがあるのか。どんな課題があるのかを教えて下さい。
大石
林業家から直接木を買うことを始めた動機は、家をつくる中でその履歴を辿る事が出来なかったという事です。ルーツというか家の履歴をたどることが従来の社会的な仕組みの中では出来なかったのです。一般の人が木の家に住みたいというのに、住まい手の想像にはその家に使われている木が山に生えている木と同じであるという事に辿り着けていない事が分かりました。自分の関わるNPOの行う山造りの活動には、家作りに興味がある人というよりは環境問題に興味がある人が参加しているのが実際だと思います。直接家を建てたい人と木を提供する側が自然と繋がった事はなく、それは後からこちらが仕掛けたものなのです。あなたの家の木がここから来ているという事を建て主に言いたかったが、それには市場を介してでは無理だったので、直接買うしか方法がなかったということです。
但し、それには限界があって自分で何もかもやろうとする事、例えば伐期の問題、設計期間や木材のストック、施主の希望の建前時期などに合わせるには無理が生じました。一方、メリットとしては同じ木から採るので構造材と野地板とで木の目が揃い綺麗だということ、でもそれは設計者の個人的な満足なのですが。
野池
その変わった活動はどの様な方法で実現させたのですか?それと、その活動に対して一緒にやった林業家の感想はどうでしたか?
大石
林業家にとっては伐った木を市場に持って行く方が楽だと思います。でもそれには、林業家は自分の木が市場までで止まっている事にフラストレーションが溜まっていました。お互いに手を差し出している者同士が繋がったという感じでした。知り合った切欠は間伐体験や、講習会などでご一緒したことからです。
野池
田口さん、鈴木さんのこの様な活動に対する林業家としての率直な意見はどうですか?
田口
とても面白いと感じました。実際、自分も間伐体験事業を立ち上げて今年の夏から始める予定です。自分では設計や施工はできないですが家作りに携わる一員としては自分の木で建てた家は長く、愛着を持って欲しいと思っています。そして愛着を持ってもらう為に、山に生えている木を見てもらうとか、建築用材になるまでに多くの人の手が掛っているとか、そういう背景と共にお客さんに木を提供したいと思っています。そういうところを共有して自分達にしか出来ない事をやっていきたいと思っています。
鈴木
最近は伐採見学会などが各地で結構行われているが、言い方が難しいですが、非常にイベントとしてはおもしろいと思います。家を建てる事は大イベントで、その建て主が山に来て木を見る。どの木が良いかの判断はきっとできないと思うが、自分が建てる家の材料がどこからきているのかをしるのは非常に楽しいことだと思います。と同時に、実は山で働く側にも非常に刺激があるイベントであるのです。実際に自分の手掛けたあの木が使って頂けるのだという気持ちに、山で働く人がなるのはかなり重要な効果があることだと感じています。
野池
横内さんは、今の国産材や地域材ということに関してはどう考えていますか?また、実際にどういう材料、特に構造材をどの様な考えで使っていますか?
横内
勿論、国産材を使えるに越したことはありません。しかし、一方で建築家は建て主を満足をさせなくてはいけません。1割以上もの設計料をもらって仕事をするからには、どちらかといえば目的はそちらにあります。それに合うものが国産材で手に入れられればそれにこしたことがないけど、それが出来なければ残念ながら仕方がない、ということです。特にコストとの問題があります。私は木を現しで使うことは好きです。しかし、見えた時に十分に鑑賞に堪えるものをある一定のコストの中で手に入れるには難しく、そういったことでは都市の建築家としては産地が遠くて、近付くすべが見つからず悶々としています。
野池
実際、横内さんの設計に堪える材と国産材とにはどのくらいのコストの差があるのですか?
横内
最近は米松でも高くなって、杉と殆ど変りません。杉はあたりが柔らかいし、最近は杉を使うことが多くなってきました。それに、一般の工務店やプレカット工場でも乾燥材を常備していてそれを選ぶことが出来る様になってきました。但し、一般的な構造材ならそれでいいですが、それを現しで使ったり、もうすこしグレードが欲しい時は難しく、コストが上がってしまいます。そういう面では杉は手が届き易いですが、松はほとんど駄目、桧は柱土台以外はまず使えません。その様に選択肢が少ないというのは難しい状況です。
野池
鷲見さん、状況が違うかもしれませんが、一般的スタンダード、庶民の人が建てられる木の家という取り組みはどうなのですか? 難しいですか?
鷲見
難しいですが、先ほどの繋がりという話で、庶民が買えるとか買えないとかいう議論ではないと思う。求められる木の住まいとは、あくまでも、作り手側の思いの話だと思います。思いを持って作っているので是非これを使って欲しいというのを私は感じる。
お客さんと接する中で、横内さんの話にもあった建て主が満足することが一番だとおもう。思いというのには2つあって、ひとつが作り手側の思い、もうひとつが建て主側の思いで、建て主が求めているものを提案しないと、安くても良いものを使っても満足は得られません。その中で私は、心の繋がりで売っていると思います。コストの問題は後回しのことです。コストを追求される場合はハウスメーカーで建てて貰えばいいのです。そうでない事を何か伝えて、住まい手の思いを叶えてあげる、住まい手のメリットは何かを分かりやすく出さなくてはいけないと思います。
野池
実際に、一般の建て主からは木の家、国産材のニーズは感じますか?
鷲見
木の家のニーズは感じますが、国産材を求めるところまではいっていないのが実際だと思います。今の仕事での建て主との出会い切欠の一番は、建物のデザイン。雰囲気が良ければモデルハウスに入って来て貰える、次に入って貰ったらまずは空間、それに香りでやっぱり木の家はいい、どこかが違いうということを言われます。そこから初めて木の家の話になっていきます。
野池
話は変わりますが、田口さんの繋がりの流れを作るという活動は具体的にはどのようなかたちで行いますか?
田口
活動を始めたばかりですのでまだ具体的にはないですが、間伐体験を通して、一般の方に木や山に触れ合ってもらう機会を作ることを考えています。
野池
どうやって一般の人を呼ぶのですか?
田口
まずは街側の知り合いが廻りの人達を連れてきてくれるところから始まります。建築屋さんや設計士の人でもお客さんを山に連れて行きたいという人が増えていますが、それを出来る製材所や、林業家がそんなにいないと思います。実際少し前までは自分の山でも、一般の人を入れる事には抵抗がありましたから。でもそういった人がいない事は、それを提供することが出来るのは自分のところのメリットだと思いました。
野池
大石さん。山側と一般の人を誰が繋いでいくのかとなった時に、最近は建築家がそれしているというのは面白いなあと思っていますが、ボランティアでないのに設計事務所として非常に面倒なことをされているというところで、実際の手間を考えたときの限界や、この活動をお薦めしたいかどうかというのはどうですか?
大石
根本的なスタンスとしては履歴が分かる家づくりをしたいということであり、実は今の岐阜県の政策の中で岐阜証明材が出来るようになってきたので、目的は半分達成されてきたと思います。
実際、山に住まい手を連れて行くことは誰にでも提供しているのではなく、自分のクライアントだけなので、この活動の中での社会的な効果はそれほど無いと思うので、それとは別の考えということになります。
手間がかかることに対してのメリットについては、歩留まりの話などはこちらの試算で木材を発注するので珍しがられますが、実際は難しいことで、それを完璧に出来ているかというと、100%こちらの責任でというかたちではやれていません。
野池
ここで、会場からの質問を聞いてみましょう。
参加者(一般参加者)
テーマにも求められる木の住まいとあり、環境という面でようやく木が着目されてきているが、木の住まいが求められるようになってきたのはいつ頃からですか?
鷲見
特に環境問題が重視されるようになってきてから意識が高まってきたと思うが、いろいろな人が木の家と言い始めたのはここ5年位の話だと思います。私が関西に出た時にはまだそういう木の家というのはなかったと思います。
野池
多分ひとつはシックハウスの事があって一番盛り上がったのは1997・8年の頃だと思います。いわゆる自然素材の家が求められて、その流れで木の家がでてきて、その中で2000年に近山運動が始まり、その流れに合わせて山の問題が出てきたという感じ。シックハウスからの自然素材への志向、山の問題、地球環境問題が重なってきて、やっぱりこれが日本の家だよなという流れが出てきたのだと思います。住宅雑誌でも2000年の前と後とで掲載される家の内容がかなり変わってきていて、その後では木の家がかなり取り上げられるようになってきました。
横内
事務所をはじめた90年ごろは木を手で刻んでいました。その頃はプレカットの出始めで高かったです。最近はほぼ100%プレカットになりました。家の作り方が劇的に変わってきたのです。逆にいえばプレカットの発達のお陰で、構造材には全部カンナがかかるようになり、見せようと思えば木を見せる家が昔よりも作り易くなりました。普通の工務店でも構造材現しの家に取り組みやすくなったと思います。
環境にすごく敏感な方は、昔のものが全て良いという考え方をされることがあるがそうではなくて、今の時代の木の活かし方があります。プレカットはその一番いい例で、精度が良くきちっと納まる、早く安くできる。だからそれをもっと積極的に取り入れたらいいと思います。
野池
しかし、確かにその流れがあるのに、実際は木の自給率はそんなに上がっていない。最近じわじわ上がってきているのでそれがどこまでいくか注目しているところです。世間で言われるほど家ブームが興っていなくて、まだまだ始まりかけた状況という感じもします。このフォーラムでこれからどうする、というところが見えたらいいなと思いますが難しいですね。
参加者(一般参加者)
先ほど野池さんの質問で庶民の建てられる木の家は難しいか、という質問に対して鷲見さんが難しいと言われたが、どの程度の木の家のことを言われているのですか?
鷲見
難しいというのは、その質問自体がおかしいという意味で言いました。木の家は当然庶民が建てられる、それを区別すること自体がおかしいという意味で難しいと言ったのです。例えば坪単価という尺度で建てられる、建てられないということではなくて、予算に見合う提案をすればよいことだと思います。
野池
ただ、現実的な話難しいこともあるのではないですか?
大石
設計の立場としては、作る前の基本的な方針を考えるところにポジションがあり、単に設計だけで家が出来るのではありません。木の家を造るというところに簡単に話が進んでいるが、本質的に暮らし方をどうするのか、そういうところから木との繋がりが出てくると思います。その中で小さくてもいい家も出てくるのです。その様な状況が厳しい中で設計者の力量が必要とされていると思います。
野池
いっとき、小さな家が出てきたがだからといって一般の中に、小さくてもいいから質がいい家が欲しいというニーズが生まれたという感じはあまりないと思います。
参加者(設計事務所)
夫の事務所に来たある家族は予算が2000万もないが、夫はやればできると言って計画に取り組んでいる。但し、それを実現させるためには仕掛けがあり、10戸の同じ家のスタンダードを作りコストを抑えるプロジェクトにして、その1戸に入れ込むということを考えている。その様に、何か仕組みをつくらないと実際は難しいと思います。
特に工務店はその仕組みを作り易い立場にいると思います。ローコストをやるには作り手はかなり知恵を絞って、今までになかったシステムを作ることが必要だと思います。
野池
設計者でローコストの試みが始まっているのは面白いと思います。もちろん一品の手作り感のある家づくりも必要だけれども、もうひとつではスタンダードづくりも必要だと思います。
横内
実はほとんど発表していないだけでローコストも結構やっているんです。関心があるのはスタイルの問題で、若い人たちが木の家を求めている時に、田舎臭いものは求めていないのです。そこにどういうスタイルを提案できるかが建て主には重要なのです。昔は床の間や土壁、障子といったきちっとしたモデルがあって誰もがそれを求めていました。今は戦後にいろいろなものが混乱して、モデルが無くなってしまった。設計者の役割はそこをしっかりと提示することが大事だと思います。でもそこが結構難しい。
“和”といってもなんでも足し合わせればいいわけではなくて、どことどの割合でどうやるかのさじ加減がすごく難しい。スタイルの問題はたかがスタイル、でも特に若い人にとってはすごく大事なことなんです。そこをきちっと提示できないと本物の無垢の木の家は普及しないと思います。作り手の価値観と建て主の価値観はそのへんにちょっと違うところがあると思います。
野池
鈴木さん、活動をされているなかで、山側から見て、特に家のつくり手へのリクエストってありますか?
鈴木
木というところからの発想を広げてもらって、木を使うことはイコール環境問題でもあるはずです。特に戦後の人工林が成熟期になってきていると言われているが、実際に山で仕事をしていると本当に成熟期なのかと思う山が多い。じゃあ一斉に国産材と言われても日本の山がそれを供給できるのかという問題もある。また、山は木材を生産するだけが指名じゃなく、そういった発想もふくめて家をつくる木材から発想を広げていくとおもしろいし、そういう人が増えると私達の仕事を理解してもらえると思います。一般の人が日本の山を守っていくということが大切であると、ちゃんと考えないとまずいと思います。私も昔は国産材を使ってもらえればそれでいいと思っていましたが、限られた有効な資源をいかに無駄なく使っていくかに知恵を絞っていくことが大事だと思います。
参加者(工務店関係)
いま一番心配しているのは、地球は元にはもどらないということ。いろいろある山の機能で一番はたくさんの木が育って炭酸ガスを酸素に変えるということ。次には水源を涵養する、そして山に住んでいる人が山を守っていけるような山村づくりをすること。
一般の人たちは環境環境というが山のことを分かっていない。いま山は既に8割ダメになっている事を本音で分かってもらい、その上で木を使った家造りをしてもらわないと山の経済は大変なことになっているんです。
是非どんどん加子母村にきて現状を見てほしい。そしてそれをどうするかを体験して考えてもらわないといけない。
あと、原木市場が要らないということは絶対にない。木をたくさん伐ってきたら置く場所が必要で、欲しい人がそこにきて買っていく場は絶対に必要です。
野池
とても迫力のある話。僕らも町場の人間でなかなか本当の山の人の本音を聞く会が実は無いのです。
大石
実際、設計者はそれを分かろうとしていかないといけないと思います。
参加者(学生関係)
よく日本の山が荒れているといわれるが、実際の荒れ方はどのように荒れているのでしょうか。自分が良く見るのは竹が侵食してきている山ですが。
鈴木
多くは人工林に関することの問題です。本来人手を加えなければうまく成長しない人工林が途中で管理放棄されて放置されている状況の山が多い。例えば竹林侵入や間伐されていなくて、雪が降れば折れてしまい、それを後から伐ることもできない山。
そういった山で、今手を入れればなんとか救える山を見つけ出して、所有者を説得して間伐を実施するのが今自分たちがやっている活動です。
野池
放置には間伐されない放置と再植林されない放置があるが、実際に再植林されない事があるのですか?
鈴木
九州の杉の人工林は基本的に皆伐して天然更新で更新させる方法をとっているが、確かに本来日本はほおっておいても木は生えるが、それで災害が起こらない山になるのか、それでちゃんと更新できる場所なのかなどを考えると、問題があるが、その原因の一つはコスト。材価が安く、植林するコストがないのが現状なのです。
野池
暗い話ばかりになるので話の方向を変えて、今日の横内さんの講演の感想はどうでしたか?
大石
住まい手に対してプレゼンテーションする重要性は日々感じているが、今はITに完全に頼っていることを反省しました。
野池
僕は“和”をルーツまで戻ってとらえなおして、それをいかに建築で表現するかという考え方がすごく面白いと思いました。そこに向かうというのは作り手としてともて大きな指針になると感じた。
鷲見
和と和風の違い。“和”の中に含まれている意味から、融合させるという一番日本人に大切なことで日本人の文化、家づくりもそれをふまえていかなくてはとあらためて思いました。
野池
表層的なところ、ブームで木の住まいの事を捉えてしまうと、いつかは馬脚が出て定着しないのではないかと思いました。みんな日本を捉えなおして伝統と融合を考える事が向かっていくべき大きなテーマだと思った。
横内
なぜ手で描くのか。建て主は自分一人の為の家を欲しがっているのであるのに、一方CADは効率を上げるための手段であって、建て主は効率を求めていないのです。むしろ自分一人の為の特別な家を求めています。ハウスメーカーがCADを使うのは構わないと思います。僕達はそれではないのでそこにCADを使う必要はないと思っています。線に思いを込める。先程の思いが大切だという話し、木の家を求める人はそういう世界なのかもしれない。手作り感だとか、自然にできたものを人間の手によって造ったものに価値を置くと思う。設計者は大工さんとか山で働く人と同じスタンスで仕事をしないと建て主に伝わらないと思っています。なんだか大工さんにCADの図面を見せるのが申し訳ないと思うんです。
参加者(学生関係)
先ほど横内さんは今の国産材は質が悪いとおっしゃられたが、昔の家はそのような材でも使っていたと思いますが、その様な木材でも設計の力で使えるようにならないのでしょうか?
横内
昔の建物は今でも京都に残っているような家は今と比べると明らかに材の品質がいい。見えるところには節が有るものを使わないとか木目を気にするとか、住まい手の方に見識があったんです。最近はそれほどそういった感覚がなくなってきているので、そういう意味では気楽に木を使いやすくなってきています。別に節があっても構わないという施主もたくさんいるし、貼りものを使うなら節のある無垢材を使って欲しいという施主もたくさんいます。だからそれにはいくらでもやり方はあると思います。ただし、やっぱり山が荒れている中で、良質の材は高くなったり流通にのらなくなっている実状はある。だから昔ながらの建て方をすると値段がどんどん上がってします。勿論、昔の建て方をする必要はありません。時代は変わっていっているのでそれなりに変わっていかなくてはいけない部分もあります。昔のやり方にこだわる必要はないと思います。
昔は生産者の価値観と、使用者の価値観がイコールだった幸せな時代があった。でも今はそういう時代ではなくなっていて、それがつらいところなんです。でも逆に設計者としていろんな可能性を提案しなくてはいけないと思います。
野池
こういうフォーラムによく参加するが、山の問題を考えると非常に難しい。でも難しいからといってアクションを起こさないと何も始まらない。そこをどうするか、いろんな価値観や立場の中で自分にふさわしいヒントがあるのか、どう道筋をつくっていったらいいのかというのが社会的な課題という感じがします。今は暗中模索のところがあるし、でもその中で結構見えてきたこともある。それこそ、Ms建築設計事務所がやってきた、山を周って木をコーディネートしながら木の家を建てていく事が一つのスタイルとして成功していると思うし、もう一つは全体的にここ5年位で建築雑誌に載っている木の家はわりとこれならいいというデザインになってきている。その流れは失いたくないと思います。
また、工務店や設計者と話をしていて、これからは大壁だという声をよく聞き、ここ1年は木を隠す方向に行っている気がします。本質的なところを見ないとただ木を見せるとか見せないという話になってしまう。
とりあえずちゃんとした木のデザインがあって、その次に心の繋がりの問題をどう伝えていくか、山がどうなっているか、木というキーワードで僕らは伝えられると思います。
木というものを捉えて、もっと木のこと山のことを語って、どこまで分かるかわからいけどそこをちゃんとやっていかないと、求められる木の家が勢いがなくなると日本人が生き残っていけないのではと感じます。
いろんな立場の方がいろんな視点で、いろんな話をしてくれて取り組み等もお伺いできたので、皆さんはそれぞれの立場で活かせることを是非行動や考える事に移して欲しいと思います。
最後にそれぞれのパネリストに感想をひとこと伺います。
大石
設計者としては木を使うことを数値として、定量的に木を使うことの意義を見出していこうと考えています。家を造ることに多種多様な分野の方が関わっている事を理解したうえで、設計者としての努力をした。昔、加子母村に行った時に聞いた話で“産地が人をそだてるのではなく人が山地を育てるのだ”という話を聞いた事がありますが、山側も同じように力を組んで岐阜からそうした情報を発信していけたらいいと思います。
鷲見
今求められる木の住まいというテーマから、他の作りとの一番大きな違いはやはり木の家には思いが詰まっているということ。思いが詰まっている事が木の家の特徴だと思っているので、それを重視してこれからも是非木の家を広めていきたいと思っています。
田口
家は建てた時がピークではなく、それから住んでいくところが家の本番だと思います。今はあまりにも例えば木材の単価を減らして最新のキッチンやユニットバスを入れ、10年もすればそれらは壊れて入れ替えられることは意識しない状況なので、それをお客さんに教えていかなくてはいけないし、僕らが勉強しなくてはいけない事もたくさんあると思います。環境という言葉が流行り文句になってしまってブームになってはいけない。もっともっと地元・日本・地球の環境のことを勉強していかなくてはいけないし、今がちょうどその時期に来ていると思います。自分たちが本質的なところ学びなおして仕事をしていかなくてはいけないということがこれからは必要になっていくと感じました。
鈴木
フォーラム第3回に地域の森林木材体験ツアーが企画されていますが、是非山の現場を見て頂きたい。特にこういったツアーで行くところは僕らがみんなに見せたい山なのでこれを入口にお隣の山も考えて頂ける様になるといいかなと思います。
横内
今日は貴重な機会を頂いて、自分でももう一度自分のやっている事を考え、いろんな人の意見を聞けて良かったです。
最後の野池さんの大壁か新壁かの話があったが、僕はどちらかといえば大壁が好きで、設備が通しにくいとか新壁は技術的な問題があって、大きな開口部周りは新壁だけど、一方で西洋建築の壁がゆったりと生活を包み込んでくれる安心感も僕らにとっては大事な感覚だと思っています。
そこは原理的にどっちが正しいと考えるのではなくて、僕はそこにも一つの融合があっていいと思って、なんでもそうだけどバランスが大事で、片方に偏ると良くないと思います。確かに環境の問題は大事な問題だし日本の山が荒れているのは大事な問題だけど、価値観に偏りがあるといつもそれについていけない人が出てきて、その為に考え方が普及しないということがこの問題だけではなくあらゆる問題にはあって、うまくバランスを取りながら完璧ではないけれども大きな流れとしてそういう方向に進んでいったら良いと思います。プレカットの問題もそうで、プレカットを使うことで単に効率を重視するだけではなく、その技術を高める事によってそれが日本の木を使うことに繋がっていけばもっといいと思う。そういうことで行けば日本はずいぶん技術革新が進んでいて、そんな国は日本だけで、そういう意味ではすごく日本的でまさにハイテクが昔から続く林業と結び付こうとしているわけで、それをさらに推し進める事によって本当にもっと明るい未来が見えてきているのではないかと思っています。もっと日本の木が手近に使える時代がすぐそこまで来ていると僕は楽観的にとらえています。だから決して悲観的にならないで、もっと積極的になって、この会の趣旨でもあると思いますがいろんな立場の人が積極的に動いて、それぞれの知恵を出し合いながら協力していくというやり方を地道に続けていくことしかないのかなという気がします。
野池
最後に、外国人による日本建築論、日本建築に対するの評価の本があればぜひ紹介してほしいです。外国人から日本の建築の素晴らしさが評価されているというのは聞くけれど、そういったところから木の家の何かが見えてくるような気がします。横内さんが外国に行かれて“和”に結びついて進んでこられたということがあったのでそういう見方はすごいい、ひとつのアプローチとしてやってみたいと思っいました。
横内
実は知られていないんです。日本の現在の木造住宅が、戦後の住宅がめんめんと続いていることが外国に知られていない。木材の産地とこういう取り組みをしている事が知られていないんです。それはジャーナリズムに問題があった。日本の木造住宅の質は世界的に見てもすごく高いんです。プレカットの技術なんて外国には絶対にない。これはもっと知らせなくてはいけない部分です。しかしジャーナリズムがすごく内向きで。もっと外に出せば絶対に反響があるはずです。だって、やっていることがこんなに地球にいいことはない訳で、でもそれをやっているにもかかわらずそれが知られていないということがあるので、外国に本を見つけることは無理ですね。
野池
残念。でも今の話はすごくおもしろい。僕は僕の立場で、今の新しく生まれてこようとする木の家を外国のジャーナリズムに持ち込んでその反応から作り手や一般の人が気付くところもあるのではないかと思いました。
- 作品名
- WACゼミ第1回 第2部
- 登録日時
- 2008/06/03(火) 22:29
- 分類
- WACゼミ2008 報告